久しぶりの占星術の授業を前に、占星術の話題でも書かないとまずいなあ~ってことです。
ということで97年前の本の内容を少し。
「考星学とは、一定の時における天体の諸現象と、地上における人事百般との関係を研究し、未来を予測する学問である。
この学問の現状から、その活用範囲を述べると、
①個人の性格や運勢(生時考星学)
②社会または国家の主な出来事(国家考星学)
③気象および地震現象(気象考星学、地震考星学)
④商売の成功失敗、株式金融の状況(商業考星学)
等に分類することができる。
本書においては、主に第一のもの(注:生時考星学)を扱う。
これは学習の順序として好ましいだけではなく、“人間の正当なる学問は人なり”という格言が妥当であれば、この分野を先にすることは正しい順序だろう。
あるいは一歩進めて説くならば、人の性質の複雑さや、その表現の様々なことなど、自然の力が自由に交わって万華鏡的な作用を示す状況(注:ホロスコープの状況)を理解すれば、性格を知るだけではなく、人間の心の力を転換して適性のある進路に就かせることできるのである。
“生時考星学”の効用は、正しくこれに外ならない。
すなわち個人が天から与えられた特徴を発揮して、生きていく上で最小抵抗の経路(注:最も相応しい生き方)を発見し、宇宙における自己の精霊の大きさと、努力して到達する限界を自覚させるものである。
本書を書くにあたっては、欧州の諸先輩の書、特に英国の考星学者セファリアル師の書に負うところが多いのではあるが、一つ一つ自分の経験と照らし合わせて、自分の学んだ結果を加えているところも少なからずある。ゆえに真面目に、この学問を学ぼうとする者には、大いに役立つだろうと信じる。いうまでもなく、この学問の全部を紹介することはできないが、説き示す限りにおいては、精確で信頼できるものである。
しかしながら、これは必ずしも盲従することを勧めているのではない。盲従は学問で敵である。読者は批評の眼で本書を調べるべきである。自分で、これを経験に照らし合わせ、十分な証拠を得て、始めて本書に述べてある事柄を批評することができるのである。盲従してはならないが、自分で努力もせず、この学問の根本を疑うことは、学問を学ぶ方法とはいえないのである。」
隈本有尚著『天文ニ依ル運勢豫想術』東海道書店刊の緒言の一部より。それとこれはコピペではありません。念のため。
※考星学(こうせいがく)は、現在の西洋占星術のことです。
*占星術とは天体現象と地上の出来事との関連を研究して予測等に生かすことである。
*占星術を研究することで、その人物の適性を生かすことができる。
*占星術に盲従すべきではない。自分で調べて確認した上で批判したり、活用したりすべきである。
まあ、こんな感じでしょうか。最初の二点は、占星術を学ぶメリットでしょう。
天体の運行と人の人生が関係しているなんて、にわかには信じられませんが、これが学んでいくと、驚くほど関係していることを知ります。何年も学んでいると、そういう単純なことを忘れがちになりますが、ド田舎の自宅から見上げる満天の星空が不思議な気持ちを呼び覚ましてくれたりします。
また、私は現在満41歳ですが、10代の頃にホロスコープを読んだ時点では、どうもピンとこないなあという点が多くあったのですが、これくらいの年齢になると、あれはああだったんだ、これはこのことだったのね、という発見があります。で、結局は大枠はホロスコープの示す暗示の人生を歩んでいることに驚くのです。まあ、死ぬ直前になって、なんとも占星術って当たってるのねと実感が増すかもしれませんが。
それと、緒言の自分の適性を生かすことの背景には、単純な性格的適性だけではなく、先生のバックボーンである人智学的な魂の活かし方が意図されています。
ところで現在の西洋占星術は、様々な発展をしています。心理学との融合、科学的な検証、伝統古典の復興、新しい理論の構築などです。そのどれも真面目な研究であれば大変良いことだと思います。
いや~、この真面目で地道な研究ってのは本当に大切ですね。最近も痛感しております。真面目な研究は何年たっても色あせない!地を這うごとく研究された成果は、今も燦然と輝いています。
2月6日から久しぶりに占星術の授業が始まります。この緒言に書かれている内容を、どこまで実現できるか不明ですが、できるだけ頑張ります。
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