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連絡事項

被災された方々には、心よりお見舞い申し上げます。

すでに連絡を受けておられると思われますが、3月17日木曜日と3月20日日曜日のアルカノン・セミナーズ様における私の授業は全面的に延期となりました。日付等の変更については、アルカノン・セミナーズ様から、ご連絡があると思われます。

宜しくお願いします。

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好きこそ物の上手(じょうず)なれ

この言葉は広辞苑によりますと「好きなればこそ、飽きずに努力するから、遂にその道の上手となる」という意味だそうです。

「上手(じょうず)」は、やはり広辞苑によると「物事の巧みなこと」とのこと。要するに技術が向上したり、その道の権威になったりすることですね。

これは、とても大事なことだと思います。

私の尊敬する方々など、まさにこれの典型でして、占いの話になると、ワーワーあ~でもない、こ~でもないと楽しそうにお話しになる。みなさん、その道の達人ですが、失礼ながら少し離れてみると、なんのことはない。メンコ片手に「このメンコすげ~だろ」「へ~それすげ~なあ」(メンコが古けりゃカードでもゲームでいいけど)てなことでして、少年の頃に眼を輝かせて友達と語り合った姿そのまんまなのですね。実際には万巻の書を地を這うごとく読解したり、あっちにぶつかり、こっちにぶつかりしながら試行錯誤を繰り返しておられるのですが。それが好きなことだから、楽しくて楽しくてしょうがない。私もそうなので、人のことは言えないのですが、これはこれでとっても幸せなことだと思います。

その一方でこういう意見があります。「その好きなことが見つからないんだよ~、だから困ってね~」

この好きなことが見つからないという状態、これが私の子供たちにも見られます。君は何が好きなのと問うと「う~ん、ゲームかな~」「マンガかな~」ってな返答は聞かれますが、これといってのめり込むものがない。そういう姿をみると、なぜもっと好きなことが見つかるように探そうとしないのか不思議に感じてしまいます。

これ以外にも少し好きっぽい(変な表現!)ものが見つかっても、どうも好きではない。思い出すのは1990年代後半、テレビのオーディション番組花盛りの頃、オーディション番組への挑戦を希望している方々がいっぱいいました。その方々はオーディションに合格するか、○ーニング娘みたいになれるかばかりをお聞きになる。そういう方にこちらが「歌の練習してる?」「ボイトレの学校に行ってる?」とお聞きすると、とたんに返答がなくなってしまうのです。専門の学校に行ってる人でも、毎日練習したり、壁に向かって呼吸法でもなんでもしているかというとしていないのです。結局のところ、スポットライトを浴びて周囲にちやほやされることだけを求めて、その裏にある努力とか訓練のことは考えていない方がほとんどでした。実際には、そういう努力を死ぬほどしても狭き門なのにです。

占いをどのくらいで習得できますか?どうやったら占い師になれますか?これも沢山質問されることです。問われている本人である私はというと、とてもじゃないけれど占いを習得したとは思えませんし、一応は占い師を名乗ってはいますが、ぜんぜんまだまだだと思っているのです。この点ではお恥ずかしい限りですが、実際にはそうなのです。

ある先生がおっしゃっていましたが、音楽教室に通ってピアノのレッスンを受けることはできる。だけどそれでプロのピアニストになって世界中を演奏旅行できるようになれるかというと、それは本人の努力次第で保証するものではないとのこと。まさにその通りだと思います。何年か前に某所で似たようなことを生徒さんに回答したら、「あんまりそんなこと言わないでね(営業妨害だ!)」と、やんわりと笑顔で言われました(笑)

好きこそ~の話から、かなり脱線しましたが、どんな仕事をしたらいいのか、生きがいを持ちたい、自分は何をすればいいのか、と様々な悩みをお持ちだと思いますが、何よりもまず「自分は何が好きなのか?やめろと人から言われても、だって好きだからやり続けちゃうんだもん」と思えるものと出会うことが大事だと思います。もし、それが無いんだという方は、僭越ながら「その好きなことを見つける旅こそが人生なのでは?」と問いたいと思います。そして好きで好きでたまらないものを見つけた暁には、それを使って誰かのお役に立てれば、それこそ旅の本当の価値だと思うのです。

脱線と文章がめちゃくちゃなのは私らしいのでいいのですが、なんだか説教じみて自己嫌悪(そう、お前は何様って感じ)なので、こっから頭がおかしい発言で濁します。濁しますが「なぜ自分はそれを好きになったのか?」の理由でもあるでしょうし、それは人それぞれの「表現の仕方=多様性の理由」だと思います。

「私が」といっている「私」って本当に「私」なの?確かに眼から見える映像、皮膚から感じる感触、その他にも匂い、音、味などの感覚は、まさに私を固定するけれども(今日も歯医者で痛かった!)だけれども、「感覚は波のように押し寄せてきて自分を強く自覚させるけれども、また静かに波は収まっていく」のではないでしょうか。

…バラバラになって無くなってしまうけれど、そっちのほうが本当で、なんとかこの真実を持って戻ろうとするけれども、バラバラなものを寄せ集めて戻る過程で、その持ってこようとするものが、どんどん薄れてくる。戻ってきた時点では、結局、言葉を失った。ただ胸に、たぶん大切なものだったんだろうという思いを残して…。

やべ、「けっスピめ」って言われそう(笑)

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