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HPに掲載した「占いに関する私の考え」の賛否

 2008年8月に、遅ればせながら自分のホームページを作りました。ページ作りの素人が作成したものですから体裁はシンプルです。有難いことに鑑定のご依頼もいただいております。
 ただ、以下に再掲載します「占いに関する私の考え」については賛否のご意見が多いです。賛成だという方もいます。反対だという方もいます。
 反対の方のご意見を集約しますと、「占いは希望を与えるものである。だから悪い結果がでても悪い結果を良い結果に変えてしまう方法をアドバイスすべきである。結論として悪い結果にならないという形で占いは終了しなければならない。」ということになります。
 ご意見は理解できるのですが、占いで全てが思いどおりになるとは、私にはどうしても思えないのです。
 私の仮説というか、意見を短くまとめますと、
*占いは大変有益な技法ではあるが、必ずしも100%絶対に当たるものではない。
 まあ、医療や天気予報程度には効果があるだろう。だから、そのつもりで上手に利用すべきである。
*開運法は、その人の持つ運命波動の領域内で作用するものである。この運命波動の 
領域の大きさを器と表現するならば、その人の器によって開運法の効果に差異が生まれる。
正直すぎるのか、はたまた変な意見なのかを皆さんが判断してください。
それとブログに意見ばかり掲載して、コメントを受け付けていない理由ですが、これはコメントを受け付けても見解の相違になることが容易に予想できるからです。おそらく話し合っても歩み寄ることは不可能だと思われます。ですから、隈本からの発信のみとしているのです。
以下、HPに掲載したものの再掲載です。
<占いに関する私の考え>
 占いは上手に使えば素晴らしいパワーを発揮します。未来の傾向も分かります。適切な範囲での願望も叶います。迷った時、悩んだ時、どうすれば幸せになれるのか、その方向を示してくれるのです。
 しかし、これは上手に使った場合です。以下に、占いを上手に使うために必要だと思われる考え方を書いてみます。
☆すでに決定されていること、選択の余地がない状態での占いについて。
 占いの鑑定をご依頼していただく場合、悪い結果に対して、自らの意思で方向転換ができる状況であることが必要です。
 私は、悩んでいるとき、行き詰ったときなどに占いは利用するものだと思います。
 しかしながら、すでに決定されていることについては、その結果を占ってはいけないと思います。もし、その方向がダメだという結果が出た場合、その占い結果を受け入れられないことになります。「この占いは外れている」「私は、この占いの結果は信じない」という受け止め方もありますが、これでは料金を支払って占い鑑定を受けた意味がありません。
 
 もちろん、悪い結果がでても、それを達観して受け止める覚悟がある方は、この限りではありません。
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 意味が不明であるというご意見がありましたので、付け加えます。
 たとえば、絶対に歌手になって芸能界で活躍したいと思っている方が、歌手になって芸能界で活躍できるかと問われた場合。
 私は夢に向かって頑張ることは素晴らしいと思っています。しかし、占いでは、大まかにいって、以下のような回答になります。
A、すんなりと歌手になって芸能界で活躍できます。
B、かなりの苦労を伴いますが、歌手になって芸能界で活躍できます。
C、かなりの苦労を伴いながら、歌手になって芸能界で活躍できません。
Aの場合は、何もいうことはありません。万々歳ですね。
Bの場合は、開運法等でサポートさせていただける可能性があります。
Cの場合は、占い側の意見としては、歌手をあきらめるなどの方向転換が必要です。
 ここでの問題はCの場合です。あきらめきれない、やめるなんて考えられないという方はCのような占いの回答を受け止めることができません。
 そういう場合こその開運法ではないのかというご意見もあります。少し皮肉っぽい言い方になってしまいますが、それですと先に出した「C、かなりの苦労を伴いながら、歌手になって芸能界で活躍できません。」という占い結果は外れたことになります。開運法でCの結果がくつがえるのであれば、占う意味がありません。
 さらに、開運法ですべての願望が叶うのならば、結果を占う必要はなく、その開運法だけをやっていればいいことになります。現実には、そこまで強力な開運法があることを、少なくとも私は知りません。
 願望実現を目的とした開運法の適用はAあるいはBの場合のみであって、Cに対しては使えません。
 私としましては、Cの場合の方向転換こそ「より良い方向に選択できる開運法=改運法」だと考えます。このケースの場合、歌手以外でその方が成功しやすい別の分野などをお伝えすることができます。
 また、Cであっても歌手にチャレンジし続けることで人間的な成長があるという事実もありますし、場合によっては占いが外れてしまうケースもあるでしょう。そういうわけで絶対に曲げられない、方向転換できない願望をお持ちのケースの場合は、特に自己責任で進むべき方向を決定するべきだと思います。
☆移転先、移転時期も決まっている移転方位鑑定について。
 これでは、移転方位鑑定ができません。すでに決まっていることですから、もし悪い結果であった場合、移転にケチをつけられる形になります。移転方位をご依頼いただく場合は、移転先、移転時期について、数年単位の選択の自由度が必要です。
***
 神社での方位除けを受ければいいのでは、というご意見をいただきました。
 私は、神社での方位除けは素晴らしいことだと思います。しかしながら、それで方位の悪影響をすべてパスできるのであれば、方位学は必要ないことになります。方位の吉凶など気にせず、移転するすべての人は神社での方位除けをうければいいわけです。本当に、神社での方位除けだけで、すべてが解決できるのか、私は疑問に思います。
 また、移転方位の影響は万人共通ではありません。運が良い人は悪い方位の影響をほとんど受けません。また逆に、運が悪い人は、良い方位の影響を感じることができません。これは毎年、同一方向に数万人単位で移転しても、それぞれの運によって受ける影響に差があることからも明らかだと思います。
 それでは、その運とは何かという問題になりますが、ここで私が申し上げている「運」とは、生年月日によって、ゆるやかな幅をもって規定された「運」のことです。この運は自由意志によってある程度の影響を受けると考えます。
☆入籍時期や開店時期の鑑定について。
 これも移転と同じように、時期については、かなりの選択の自由度が必要です。たとえば、開店時期が来年の某月だと決まっている場合は、開店の時期の鑑定は不可能です。
☆人の死について。
 人の死に関することは、基本的にはお答えできません。なぜなら、どんなに達観していても、自分の死や愛する者の死を動揺せずに受け止めることは、ほとんど不可能だからです。例外的に、遺産相続の問題が絡んでいるなど、必要性が高いという合理的な理由がある場合は拝見する場合があります。
☆病気について。
 病気の診断や治療に関する意見を述べることは、占いで鑑定することはできません。私は医師の資格がありませんので、法律違反になります。
☆開運法について。
 開運法は、その方の器によって効果が異なります。この器とは生年月日で規定されている人間の運命の容量のことです。この器を超えた効果は期待できません。生年月日で規定される人間の器の幅内で、開運ができるだけです。
 また、大吉方位に移転したからといって、その後に何も悪いことが起きないわけではありません。私の仮説ですが、生年月日で規定される運命の影響と、その生年月日で規定される運命に、ある程度の制限内において影響を与える方位の効果があると思います。この影響を与える要因は、何も方位だけではなく、そのほかの要素も十分に考えることができると思います。
☆愛する人との相性について。
 たとえば、結婚が決まっている相手との相性のご依頼は、よほどの注意が必要です。二人の相性が、お互いの注意によって乗り越えられるレベルのものであれば、相性を占う意味もあります。しかし、離婚の可能性が非常に高い相性であった場合は、これを冷静に受け止めることができません。目の前にいる愛する人との関係を悪いといわれて、素直にハイそうですかとは言えません。これは冒頭の選択の余地がない状態での占いと同じことになります。
 ただ、私は理想論で言えば、本来的には人間関係に相性など存在しないと考えています。しかしこれは、マザーテレサ(賛否ありますが)のような誰でも受け入れる度量の持ち主に限ると思います。現実には、残念ながら相性は厳然と存在してしまうようです。
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 これにも反論メールをいただきました。私の考えを述べます。 
 占いの判断で最悪の相性の場合、それを乗り越える方策を提示するのが占いの役目ではないのかというご意見です。
 理想的には、まったくそのとおりですが、そもそも乗り越える方策がある相性を最悪の相性とは分類しません。ここでいう最悪の相性とは、お手上げの相性のことです。
 そんな最悪の相性など、この世に存在するはずがないとのご意見ですが、それは私の意見との見解の相違であるとしか申し上げられません。

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大運法

ハンド氏の論文を見ればわかりますが、フィルダー(フィルダリア)についてAbu Masharが伝えた内容がいろいろと異なって伝わっています。

要点の一つがヘッドとテールを、どのように挿入するかです。

インドではラーフ、ケートゥは欠かせませんが、西洋(アラビックも)では試行錯誤の跡が見られます。

この試行錯誤は四柱推命でも同じです。

干支の配列、蔵干の取扱いなど、試行錯誤だらけといってもいいでしょう。

・・・あ、まずい、もう出勤ですので。服を着替えますね(汗)

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文聰先生人相系譜(一部)

皆様、いろいろと記憶違いがありましたので、訂正して、お詫び申し上げます。

うーん、記憶がごちゃごちゃでしたね。

※ケタのずれがなおりません。うーん。

まず、「神秘科学」目黒玄龍子先生追悼號からですが、

*文聰先生が目黒先生に師事されたのが二十一歳の二月。

*丁度今から十三年前(この雑誌が昭和13年発行)ですから、文聰先生が大震災以後に 

占いを始められたとすると、その二、三年後に入門されたことなります。

*同級生が十一人でした。

(四人なんて言いまして、すいません。でも、意外に少ないですよね)

*同級生には鉄道学校の先生、書の先生、海軍の技術研究所の方、

 (陸軍は間違いです)などです。

(この三名の方と占い師の方で四名と記憶違いしておりました)

*玄龍子先生は流卜で苦労された。

*この同級生達と講習の帰りに銀座でビールを飲みながら夢を語り合った(笑)

ということでした。

次に、林先生との関係ですが、文聰先生著「観相学精義 画相伝 全」によりますと、

*浅草馬道の朝元斉横舟先生に師事されたのが林文嶺先生です。

*林文嶺先生のお弟子さんに福田常水先生、木村瑞枝先生、佐藤某先生、白竜先生な

どが、いらっしゃいました。

*この中で福田常水先生に文聰先生は師事されました。

まとめますと、文聰先生は、

*玄龍子先生系では、玄龍子先生に直接師事された。

*林文嶺先生系では、そのお弟子さんの福田常水先生に師事された。

となります。

福田常水先生は、他には浦辺東涯(顕)先生も師事されていましたね。

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悪いことが重なる日

9月16日火曜日の朝、洗面台で自分の顔を見ると額に赤い点と暗色がありました。「これはヤバイなあ」と思いつつ、仕事に出かけます。

で、何があったか。

1、仕事先で論争になる(皆様、ごめんなさい)

2、息子の自転車が盗まれる。

3、メインのパソコンが壊れる。

と、以上、三つのことが同じ日に発生しました。

まあ、プラティアンタル水星のときは、こういうことが起きることが経験的にわかってはいましたが。

D1ラグナからみて水星は6L

マハー火星からみて水星は6L

D9マハー火星からみて水星は6L

と、まあ、さもありなんな感じです。

しかしながら、ゴーゴーと音を立てて大きく変化する流れは止まりません。

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子供が手相を気にして

私には子供が3人いるのですが、ある日、一番上の子が部屋の前に立って、「生命線が短いと早死にするの?」と聞いてきました。

即座に、「そんなことはないよ。必ずしも生命線の長さと寿命とは関連しない。それよりも線の濃さ、線の深さ、あるいは手全体の様子を見ることだよ」と答えました。

その後、その話を聞いた真中の子と一番下の子が手相を聞いてきます。一番下の子は幼稚園なので聞いているフリだけです。この真中の子は夏休みに図書館で手相の本を読んでいたそうです。母親によると。

そして、一番上の子を交えて、自分の右手のひらを見せながら、ここは木星丘でここは太陽線というのだよ、と教えました。

で、翌日、今日ですが、学校から帰ってきた子どもたちに、手相のこと学校で話したの?と聞くと、話したとのこと。しかし、それ以上詳細を語ろうとしません。

はは~んと感じて、こういうことを世間に話すときは、どういう態度で話すべきかを教えました。

いずれ経験するであろう世間の風当たりと、その対処法を、今のうちに知ってもらいたいと願います。

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玄通子先生

玄通子先生著編「相道」第二号鑑相秘録より

今からおよそ54年以上昔の実占例ですが、

「三十八歳の男子、眉毛が濡れて倒れ(妻乃至妾が密通して煩悶やるせない相)、左の魚尾に白苞が出て、その傍に三十台の美人が背を向けて現れ(妻の反対を苦にしている相)、右の魚尾に色白の三十五、六の女と二十五、六の瓜実顔の優男とが同じように背を向けて現れ、神動線が右魚尾から出て女像を過ぎり、右の金甲へ引いて(この三十五、六の女に当人は首ったけ恋著しているのだが、女は傍の二十五、六の優男と通じ、当人に秋風を吹かしている相)、両顴勢に似疵苞が現れ(名誉を傷つけられる相)、右の涙堂にも白苞が現れ(恋愛を苦に病む相)、印堂が赤く(あせり)、地閣も赤くなり、右の腮骨に図のような神動線が走っている(建築の相)・・・。」

本当は、もっと長いのですが、あまり引用するといけませんので、このへんで。

まず、驚くのが、顔を見て、ここまでのサインを読み取っていることです。
実際には、

*三十八歳の事業家が奥さんがいる身でありながら三十五、六の女性と不倫をしている。
*その浮気相手の女性も別の若い情夫がいる。
*浮気相手の女性に家を建ててやる約束をしている。
*しかし、その浮気相手が若い情夫との関係を求め、事業家を拒んでいる。

などが、驚くほど顔から読み取れるわけです。

ここまで読み取れるようになりたいものですね。

この例を取り上げたのには、もう一つ理由があります。

観相による洞察もさることながら、いつの世にも同じような悩みを持つ人がいる。

この事業家は、どうしても浮気相手の女性と一緒になりたいのですが、玄通子先生は止めます。この女性は持ち物は良いが浮気っぽい、だからこれからも男を変えていくからやめろと諭すのですが、事業家は諦めません。あげく、今の情夫に飽きたころに一緒になれないかと聞いてくる始末。

「それは何時ぐらいしてからでしょうと本気で訊ねられたのには全くうんざりした。中年の色ごとは全く相手になりにくい。理屈は一と通りも二た通りも心得て、自分の弟妹、後輩へは恋愛訓も得々喋舌る手合だから始末に困る。特にこの人の場合・・・。」

・・・まったく今も一緒ですよ、玄通子先生。

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暑いけど秋の足音

 今日も暑かったです。

 水分と適度な塩分(ミネラル)を取らないと部屋の中でも熱中症になりそうです。クーラーの恩恵にあずかりながらも、怠けた体にはこたえます。

 ふと、庭をみると、あれだけ茂っていた草花が、少し秋っぽくなりはじめていました。庭のベンチに座って、ボーっとしていると、雲が流れていました。

 さて、秋だ秋だ。

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方角から時間と場の妄想へ

ある領域内に、どの方位から侵入するのか。これは非常に大きな影響力をもっています。

地面に棒でサークルを書いただけでも、どの方位から侵入するかで違ってきます。

同じことが建物のどこから侵入するのかで違いが出ます。この場合の境界線は、内部と外部を規定している建物の壁であったり、塀であったりします。

家相の分野でも、この原理を応用します。家相の場合、形のバランスを重視するのですが、バランスが悪い場合は、人為的に境界線を引きなおすのです。一種の結界の要領です。

大きな問題は領域を規定しているのは、いったい何なのか?ということですね。

もうひとつ、ある物体がある場合、広い場所とせまい場所、開けた場所と閉じた場所といった周辺環境から、前後左右が生まれるようなのです。

これは矛盾するものではなく、別の要素であり、それぞれ違った領域に影響を及ぼすのでしょう。

空間という認識、時間という認識、このそれぞれを我々は別々の要素として扱おうとしますが、これは我々の認識が勝手にそうしているのであって、本来一体のものかもしれません。ある方位から、ある時間に侵入した=これは時間と空間にインパクトを与えていることなのでしょう。

この二つを大まかに表現すると「場」というものなのでしょうか。

とすると、一歩進めて、卜とは、「場に出会うこと」だと妄想します。

生年月日も、その時を「場を卜している」ことですし、顔をみて気色をみるのも、「その場に出会っている」のでしょうか。

こうなると命、卜、相も同じ「場」というものが根底にあるのかもしれません。

旅人のような心境で、その場に出会う・・・。

暴走すると、我々とは「個的な場」なのかもしれません。

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いつの世も同じ

具体的な名称をあげると差しさわりがあるので避けますが、かつてお世話になったところが、本家と決裂したようです。

こういうことは占い業界では、いつものことでして、私としては驚きもしないのですが、みなさんが穏やかにお元気でお過ごしいただけるとうれしいです。

そこの話ではありませんが、ロクでもない方がロクでもないことをしているのを見聞きすると悲しくなります。

また、こういうロクでもない方は自分を演出するのが上手なので、ご存じない方は、そっちが本当だと思い込んでしまいます。

いぶし銀の実践者、本物の研究者を見極める眼力を持ちたいです。

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