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足利学校

足利学校は、およそ八世紀頃、下野の国の国学として、創建されたという説が有力です。その後、小野篁の支援、足利義兼の復興、上杉憲実の再興などを経て、易学を主とする学術、兵学、医学などの修得、教育を行う学校として江戸時代まで続きました。

 戦国時代、足利学校は全国から生徒が集まるほど盛んになります。その隆盛は、日本を訪れていたキリスト教宣教師の記録によると「生徒数が3500人以上在籍している日本最大の総合的な大学機関である」と表現されていたほどです。この隆盛の背景には、戦乱の中で必要とされた占い(軍配術)の専門家を養成することにありました。現代人には奇異に感じられますが、当時の戦争では占いは重要な役目を果たしていました。そのため、命のやりとりをする戦国大名達には、戦いに勝ち残るために占いに熟達した足利学校出身者が必要だったのです。逸話として、戦国大名の中でも最も有名な武田信玄は、家臣から推挙された軍師希望者を、足利学校出身者でないという理由から退けたという話が残っています。ここから戦国時代、いかに足利学校で学ぶ易が重要視されていたかが分かります。

 足利学校では、周易、断易など、あらゆる種類の易学から、兵法(軍略)への活用方法に至るまで、最高水準の易学を教えていました。それは戦国時代の戦いの中で鍛え上げられ、大成されたものと言えます。生きるか死ぬかの中で活用される易は、必然的に研ぎ澄まされていったわけです。この戦いに活用された足利学校の易は、その絶大な効用から、江戸時代になっても幕府に献上する年筮(一年間の占い)として、幕末まで提供され続けたのです。

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